Story

かただ 芙史子 起業STORY

こんにちは。 
かただ芙史子です。
今日は、なぜ、私が今の仕事をしているのか?
私のこれまでの人生の軌跡をお話しします。

私は、秋田県秋田市に生まれました。
実家は、祖父の代から、商店を経営していて、父はその商売をついでいました。
父はとても頭の良い人で、東大を卒業したのですが、体が弱かったのと、祖父が脳梗塞で倒れたため、実家の商売を継ぐしかなかったそうです。
元々、商売には向いていなかったので、父はいつも機嫌が悪くて、何かあると怒鳴られます。だから、家族はみんなピリピリしていました。
また、商売が忙しくて、お正月とお盆以外には休みも無く、どこかへ遊びに連れて行ってくれたことは皆無でした。そんな父が嫌いで、私はいつかこの家から出ようと思っていました。そして、東京へ行き、ファッションモデルとして成功することを夢見ていました。

そんな私は、大学進学を機に上京しました。そして、それまで毎日イメージして いた夢が次々と叶うという体験をしました。大学在学中に、ファッションモデル になることができて、憧れていた雑誌アンアンの表紙を飾ることができたので す。また、大学卒業と同時に女優としてデビューし、角川映画「オイディプスの 刃」に出演できました。

しかし、当時の芸能界は、セクハラやパワハラが当たり前の世界でした。仕事の 代償にベッドの相手を求められるような状況が頻繁にあり、私はそれに耐えられ ず、2年後にやめてしまいました。

それからは、アルバイトで生計を立てることをしていましたが、30 歳を目前にし て失恋したのをきっかけに、外資系企業への就職を目指し、秘書スクールに通い ました。そして、念願の大手外資系企業に就職することができました。

この時も、イメージの力、潜在意識の力を使ってチャンスを引き寄せたのです。 仕事は、理想通りの素敵なオフィスで、優しい上司に恵まれて、お給料もたくさ んいただけて幸せでした。しかし、33歳をすぎて、自分も結婚して子供を産みた いと思う様になり、婚活をスタートすることにしました。そして、ここでも潜在 意識でイメージしていた通りの男性を引き寄せて、結婚をしました。

ここまでの私の人生は、思い通りの順風満帆な人生だったと思います。

しかし、結婚後1年半後、長男を出産。しかし、その長男が 2 歳半の時に自閉症 と診断されました。

私の価値観を一変させた息子の存在

それまで、思い描いていた、子供への期待感は木っ端みじんに吹き飛びました。

そして、子育てが一段落したら、社会に復帰したいという想いも叶わない夢とな り、落ち込みました。 「なぜ、私のところに、こんな不幸がやってくるの?」そう思って、運命を嘆き 悲しみました。 毎日のように泣いて、実家の母に電話をしました。

その頃、お腹に第2子がいたので、その子も障害児だったらどうしようと不安で 眠れなかったのです。 するとある日、母が、「いい加減にしなさい!運命を受け入れなさい!万が一、 次の子も障害児だったとしても、私が応援するから!」と言ってくれました。

その母の一言で私は目が覚めました。

「起きてしまったことは変えられない。できることからやるしかない。」
そう思って、猛烈に行動するようになりました。

お腹の子のために、食べ物に気を使い、マタニティースイミングに通いました。 また息子のために、母子通園施設に通い、生活習慣を身に付けさせました。 その後、息子の障害を少しでも改善したいという思いから、東京の武蔵野市にあ る健常児との統合教育をしている武蔵野東学園で、幼稚園から専門教育を受けさ せることを選びました。

そして、夫を名古屋に残して、息子と生まれたばかりの長女を連れて、東京での 母子だけの生活をすることになりました。様々な療育方法を試し、休日は高尾山 に登山に連れて行きました。しかし、息子の障害は重く、なかなか大きな成長は 得られませんでした。

2009 年に、東京から名古屋へ戻りました。そして、少し息子の手が離れたので、 コーチングを学びました。当時、コーチとして起業する方が増えてきていて、 「これなら私でも起業できるかもしれない」と思ったのです。

コーチ 1 年目は失敗の連続・・・

私は、2012 年に、市場ニーズのある「婚活コーチ」として起業しました。

当時、世の中は婚活ブームでしたので、マッチングパーティなどを開催し、そこから、婚活コーチングのクライアントを獲得することができました。

しかし、ある時、「イベントに行きたくない~」という思いが沸いてきている自分に気づきました。 なぜかと言うと、クライアント様が、自分を変えることに積極的でなく、相手が悪いと考える方が多く、私が真剣にサポートしたいと思えなくなっていたのです。そして、それをきっかけに思い切って、婚活コーチと名乗るのをやめることにしました。

この経験から、「どんなにお金になっても、本当に自分が心からやりたい、情熱が持てることでなければ、行動を継続できない」と気づきました。

起業塾に通いマーケティングについて学ぶ

その後、マーケティングについて塾に通い学びました。そこで、起業テーマはその人の人生を映し出すものであり、「情熱」「スキル・能力」「市場ニーズ」を掛け合わせたところをテーマに選ぶと良いと確信を得ました。

私自身も自分の人生を振り返り、自分が情熱を感じること、生まれ持った資質、 学ぶことで身につけた能力、それらを全て書き出して、浮かび上がったのが、主 婦が、コーチ、セラピスト、カウンセラーなどの形のないサービスを提供して起 業するためのお手伝いをすることでした。

起業コンサルタントになると決意

起業コンサルタントになると決意して、すぐにブログを整え、21 日間のステップメールとセールスレターを書き上げました。
そして、ステップメールの配信後、初めて、これまでのお会いしたことのない方から、初めて高額のコンサルティングにお申込みをいただいたのです。

起業コンサルタントのお仕事はとても楽しくて、やりがいのあるお仕事です。

クライアントさんが、それまでは、漠然としていたイメージを明確にし、願望を叶えて、イキイキと輝いていく姿を見た時に、最高の喜びを感じます。人には無限の可能性があり、その気になればいつからでも、誰でも、自分の未来を変えることができると、クライアントさんの変化から学ばせていただいています。

しかし、夢を希望を抱いて、起業したはずが途中で思いがけない壁にぶち当たり、行動をやめてしまったり、あるいは、ノウハウをお伝えしてもなかなか行動に移すことのできない方もいらっしゃいました。

うまくいく方とそうでない方の違いを観察した結果、うまく行かない方は、潜在意識に何らかのブレーキとなっている思い込みや制限があることに気づきました。「自分は、成功する価値がない」そんな思い込みがブレーキになっていたのです。

どんなに知識があっても、行動にしない限り、夢が現実化することはありません。
私は、「潜在意識の中の思い込みを変えるためには、どうすれば良いか?」を考える様になり、私は N L P とヒプノセラピーを学び始めました。

そして、ついに思い込みの書き換え方がわかったのです。

ヒプノセラピーで催眠状態に誘導した上で、クライアント様の潜在意識にアプローチします。そして、過去の体験からできてしまったネガティブな思い込みや制限を癒し、それをポジティブに書き換えることで、セルフイメージが変わり大きく変化が起きるのです。

「ヒプノセラピーを使えば、その人の潜在意識が変わり、人生も変わる!」

そう確信した私は、2018 年からヒプノセラピストとしての活動もスタートしました。そして、3年間で 300 名近くの方々にセラピーを行いました。
そして、今年の1月より、リソナンス・ヒプノセラピスト養成スクールを開講しました。
私は、ヒプノセラピスト養成と、起業コンサルタントの2つの事業を通じて、女性の精神的自立と経済的自立をサポートしています。

女性が真の自由を手に入れるためには、経済的に自立が欠かせないからです。

せっかく生まれてきたのですから、好きな場所に住み、好きな仕事で、好きなお客様に喜ばれて、充実した人生を生きたいと思いませんか?

私は、起業することで、それを手に入れることができました。まだまだ、ゴールには、到達していませんが、起業という道を選んだことで、私の人生は大きく変わったと思っています。

これからも、この仕事を通してたくさんの方々の自立と成長に貢献できたら、本当に幸せです。
最後まで、私の人生の軌跡をお読みくださり、誠にありがとうございました。

リソナンス 

かただ芙史子

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